昨夜は、南三陸町の歌津崎と気仙沼市の階上(はしかみ)の岩井崎の2カ所に、2グループに分かれて宿泊しました。岩井崎は気仙沼市の南方にある半島で、この集落で唯一営業をしている岬の先端の民宿に1グループが宿泊しました。この半島は先端部をのぞいてほとんど津波に襲われた地区で、昨夜宿に向かったときは、一面、家の基礎だけが残った状態で「この先に民宿などあるのだろうか」と不安になりました。また、この岬には県立の水産と工業の課程を持つ高校があり、津波に3階まで襲われています。調べると、地盤が沈下して津波のあとも周囲が水没したままとなり数日間孤立状態になったようです。
▼岩井崎にのぼる朝日 何もなかったかのように穏やかな美しい海
▼岩井崎先端部への道路 周囲はすべて流されてしまい何もない
▼8ヶ月が経とうとしているのに手つかずの高校 大潮時には周囲は水没するようだ
▼高校の校舎 3階の窓まで打ち破られていた
▼2日目のボランティアセンターに到着 ビブスをとり名前を記入する
▼今日は月に1度の福興祭 ボラセンのとなりのため、ここでうにめしやホタテ飯などの弁当を調達
▼ボランティア出発前の確認 今日も100名以上がボラに参加
▼1日のボランティア活動が終わり、宿のすぐ先の歌津崎(泊崎)で沈む太陽を見送る
今日は、また別の男子学生のリポートです。
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今日はボラティア活動2日目で昨日とは違う場所で作業しました。今日の場所では写真やハガキ・CD・紙おむつなど、この場所で生活していたんだと実感できる物がたくさん出てきました。作業を行う中で様々なことを考えさせられました。ここにはどんな人が住んでいたんだろう?津波が襲ってきたときにはどんなことを考えていたんだろう?そのようなことを考えながら、もし自分の家族が被害に遭っていたらと考えると、とても 怖くなりました。
私がこの体験を通して、ここに来て初めて、本当にこの日本で恐ろしい災害が起きたんだということを実感しました。福岡でテレビやラジオを通して様々な情報を見聞きしてきました。そのときは関心を持っていますが、時間が経てば忘れてしまっていました。しかし、実際にこの現場を見て、現地の方の話を聞き、このことは一生忘れられないと思います。私が福岡に帰ってからできることは、私の家族や友人などの少しでも多くの人にこの体験で学んだことを伝えることだと思います。そしてこの体験で学んだことをしっかりと心に刻み、消防士として多くの人の命を救えるように厳しい訓練を積みたいと思います。
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| 11:16 PM |
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