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南三陸町ボラ@福岡校(4日目)
 福岡に戻ってから、最終日のブログを書いています。ボランティアを体験した人がよく書いていますが、南三陸の「日常の風景」と福岡に戻ってきての「自分の暮らし」のギャップに、正直とまどっているところです。さて、前置きはこれぐらいで、本文は次の行から。

 最終日は、観光をしてきました。「ボランティアに行って遊んできたのか」と思われるかも知れませんが、日常を取り戻すことが東北を元気づけることだとも思って観光の定番コースをめぐってきました。そこでも多くの地震の爪痕を感じるとともに、感謝の言葉をいただきました。

 最後に、このボランティアの中で印象に残った言葉を書いて、このシリーズは完結させたいと思います。ひとつひとつを別個に取り上げると、いろいろ矛盾する言葉もあるのですが、どれもストンと自分の中で受け止めることが出来ました。
 「今日、ボランティアをしていただく場所は、多くの方が亡くなった場所です。みなさんの立っている場所で、人が亡くなっています。」
 「ボランティアをしているときも笑顔を忘れないで下さい。しんみりした表情で活動をしているのをみると、住民の方々が『辛いことをさせているんだ』と思ってしまうそうです。笑顔でいいんです。」
 「ボランティアで、(身近な空き地の)ガラスの破片ひとつを拾っていただくだけで、『復興がすすんでいるんだ』と住民の方が前向きに暮らしていける助けになります。」
 「東北の人は、震災があったということ、自分たちのことが忘れられてしまうんじゃないかということが、いちばん怖いんです。ぜひ戻ったら、皆さんが体験したことを多くの人に教えてあげて欲しいと思います。」
 「震災前は、寄せ書きとか見ても『こんなの意味があるのかなぁ・・・』と思っていたけど、今は見ると多くの人が見てくれてるんだなぁと嬉しくなりました。」
 「これから私たちは、もっともっと元気になっていきます。ぜひ、また今度は遊びに来て、もっと元気になっているところを見に来てください。」

▼塩釜港では2.7mの堤防を乗り越えて津波が流れ込んだ。再建する防波堤の高さを決めるために設置された表示。

▼松島遊覧船に乗船。かもめにエサをやるがなかなか飛んでこない。遊覧船は空いていて、観光案内にくわえて津波被害の話がやはり入る。

▼仙台の青葉城にて。時代劇の服装の方は、奥州・仙台おもてなし集団「伊達武将隊」の足軽の田七さん。福岡から来たことに、感謝の言葉をいただきました。

▼仙台空港 水色のラインが津波到達時の高さ。ニュースでも報道されたように、当時は多数の避難者が空港に取り残された。


今日、最終日の感想は、また別の女子学生にかいてもらいました。疲れて帰ってきたところ、夜遅くまでかかってありがとう。

 4日目、最終日の今日は、南三陸町を出発し松島、塩竃をまわって仙台へと向かいました。車で移動中は仙台の高校の先生から、現場と照らし合わせながら震災当時と震災後の様子・状況を聞きました。津波によって沢山あったマツの木が所々にしか残っていないこと、いまは普通に営業しているショッピングモールの付近も震災当時には遺体が何百体もあがったということでした。
 松島や伊達政宗の縁の地を訪れましたが、震災後は観光客も減っておりそこで商売している人はとても苦しい状況だそうです。
 これらの話を聞いて心が痛みましたが、うかがった話と現場で感じたことをしっかり胸に焼きつけ、震災のことをこれから先ずっと語り継がなければいけないと強く思いました。3・11のあの日、あの時を、わたしたちは将来にわたって忘れてはならないと思います。
 移動日も含めて4日間のボランティアを通じ、人との繋がり、人々の思いや底力を感じ、考えるもの見つめ直すものが沢山ありました。そして宮城のまちが大好きになりました。
 本当にありがとうございました。心から早期復興を願っています。

| http://blog.kouzemi.ac.jp/index.php?e=1686 |
| | 10:10 PM | comments (0) | trackback (0) |

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