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1/21菊池恵楓園見学
1/21木ハンセン病療養所の菊池恵楓園の見学にみんなで行ってきました。
もう何年目になるでしょうか。卒業生の皆さんもなつかしく思い出すのではないでしょうか。

ハンセン病はらい菌により、皮膚と末梢神経が侵される感染症です。
治療薬がなかった時代、顔や手足が変形する場合があり、差別や偏見にさらされました。
そのため、1931年以降、らい予防法に基づき強制隔離政策がとられてきました。
その隔離施設の一つが菊池恵楓園というわけです。
療養所なのに、入所者は様々な人権侵害を受けて苦しんだそうです。

感染力が弱く、1947年には治療法が確立され、治る病気になっていたのに、1996年までらい予防法は廃止されず、強制隔離政策は続けられました。
外に出してもらえない、子どもを持つことを禁じられる、ふるさと・家族との絆を断たれ療養所の中で亡くなってもお骨の引き取り手がない、という方がたくさんいたそうです。
撮影禁止のため、写真がありませんが、納骨堂で帰ることの出来ないお骨を前に、元気な学生たちも言葉を失っていました。


「日本では1947年にプロミンによる治療が始まり、治る病気になったにもかかわらず、国は療養所での生活や医療の改善の予算の確保を優先して、らい予防法を廃止しないで、強制的に隔離する政策を継続しました。医師や弁護士も積極的に予防法廃止の声を上げませんでしたし、さらには私たち国民の無関心、あるいはハンセン病についての理解不足も、1907年の最初の法律の施行から1996年のらい予防法廃止までの90年間の長期にわたり、らい予防法による人権侵害を通用させました。」
参照:国立ハンセン病資料館HP
http://www.hansen-dis.jp/kids/qa.html

外に出られないため、様々な宗教の祭壇が並んだ施設が作られました。

療養所内でなくなった方は、患者さんたち自身の手で火葬にされました。

また規則違反をした人は、監禁室に入れられたそうです。牢屋ですね。

療養所は高いコンクリートの塀に囲まれ、逃げられないようになっていたそうです。
その一部が資料室に展示されています。
| http://blog.kouzemi.ac.jp/index.php?e=156 |
| | 01:47 PM | comments (0) | trackback (0) |

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